お酒はカラダに悪いのか?/札幌整体源整院

 

昨今、健康寿命が意識され、同時に平均寿命も右肩上がりの傾向です。

 

日本らしいなと思うのは、あれを食べたら体に悪いとか、酒タバコは発がんリスクを高めるとか、「正しい」という事にやたらと、右に倣えの金太郎飴の意見です。

 

例えば、ある人に「お酒は健康に良くない?」「タバコは健康を害す?」という質問を〇か×かと問うと、ほぼ全ての人が〇を揚げると思う。大事なのはその先。

 

「〇を上げたその理由を答えてください」となった場合、結局「そう言われているから」という答えになる。これらは、ハッキリとした知識がないのに、何となく誰かの意見に同調した結果です。

 

この習性は、実は危険な所があって、これがエスカレートすると、SNS等のデマ拡散に同調するのと同じ傾向になります。

 

ちなみに私は「×」を上げる。

 

その理由は?と問われれば、「お酒は健康に良くない」というのは、全体性において全く意味のない質問だからです。

 

詳細を説明すると、基本的な部分で、「肉体的健康」は重要な部分ではある。が、しかし、元来健康というものは、「精神的にも社会的にも完全で良好な状態」を指すのです。だから、疾病が無いだけでは健康は論じれない。

 

おそらく多くの人が、「お酒は健康に良くない」という理由を、肝臓の数値が悪くなったとか、肥満になるとか、実体験を伴うとか、それを経験した人が周囲にいたり、医師によってマスコミやネットを通じて見解を見聞きしているからだろうと思う。

 

では何故、精神的にも肉体的にも完全で良好な状態を抜きに、健康論が浸透してしまっているのかというと、医師という専門家がこれを無視しているから。

 

もっと正確に言うと、健康について医師と話せば、殆ど思考停止になる。医師は肉体的な病気があるかないか以外には、職業的責任は無いし、当然プロでもない。だから、肉体以外には驚くほど素人以下です。

 

これは、全ての分野に言えることですが、専門家というのは「専門分野=職域」がキッチリと線引きされているから、目線がいつも一方的に偏っているものなのです。

 

例えば、アルコールによって、膵炎を起こして入院したとします。絶食や点滴による薬物療法を行い、膵炎が寛解して退院した。そこまでが医師の仕事だから、その後の人生の精神や、社会が良好であろうとなかろうと、知った事ではない。

 

勿論、何故そこまでアルコールを摂取しなければならなかったのか?という理由すら、医師の仕事でも責任でも無いのです。

 

これらをぜ~んぶ飛ばして「お酒は健康に良くない」という言葉に集約されて流布され、殆どの国民がSNS拡散と同じことをやっている。

 

さて、この辺で私が「×」を揚げる理由はお分かりか?

 

お酒は肉体には、少量は良い方向に働くこともあるが、殆ど場合、飲まないに越したことはない。しかし、それ以外の2つが重要。

 

お酒を飲むことで、友人知人、飲み仲間と定期的に会って、「元気だったか」「子供は就職したか」「お父さん入院していたのはどうなった」と、普段の社会生活において、打ち明けて話すことができない人にとっては、精神的、社会的に充実することへと直接的に繋がることになる。つまり、肉体には確かに良くないが、他の精神的、社会的な部分には健康に良く働くことにもなる。

 

合計= 1(肉体)対2(精神、社会)

 

健康に良くないに〇をする人は、どういう計算式があっての事か。勿論、お酒を飲まないで、精神的、社会的に完全で良好な状態を保てる人もいる。しかし、そうではない人の存在も認めよ。良いか悪いかは、法を逸脱していなければ、他人が勝手に押し付けるものではない。

 

もっと大きな視野で、人生をどの様に幸福に充実したものにできるのか?という部分の議論が、全くおざなりな状態で、体に良いか悪いかという矮小な考えに何の意味があるのか?

 

そんなことをいつまでもやっているから、「肉体は健康で、世界でもトップの平均寿命です。しかし精神や社会は病んでいます。全197カ国中では、自殺者数は上から6位です!」という現象から脱することができない。

 

私はもっと、長寿達成よりも、健康の全体のかさ上げ議論の必要性を感じるのだが、今の日本にはまだ早いのだろうか?